安曇野の至宝“てんさん”をご紹介します。

天蚕(てんさん)は、日本固有の野生の蚕(カイコ)から採れるワイルドシルク。
絹糸よりさらに軽く、柔らかい最高級の天然素材です。
安曇野は江戸時代に人工飼育に成功して以来、
天蚕糸の生産と織物作りの中心地として発展してきました。
知る人ぞ知る“幻の糸”の魅力をご紹介します。


「てんさん」って何?

天蚕とは、生糸を作る野生のカイコの一種で、ヤママユガという蛾の繭から採取されます。

ヤママユガは全国の山野に生息する蛾ですが、養蚕用に飼育される一般のカイコ--家蚕(かさん)と言います--に比べて飼育が難しく、採れる糸の量も限られているため、養蚕にはなじまないとされてきました。

家蚕の幼虫は乳白色なのに対して、ヤママユガの幼虫はご覧のように鮮やかな黄緑色をしています。
また家蚕の幼虫は桑の葉を食べて成長しますが、ヤママユガの幼虫の主食はクヌギの葉っぱです。
同じカイコでも、家蚕と天蚕はまったくの別物なんですね。

家蚕は人間の手によってたくさんの糸を吐くように品種改良されてきましたが、ヤママユガは野生の昆虫です。にも関わらず繊細で、アリや野鳥に捕食されやすく、また地面に落ちると自力でクヌギの枝に戻れずに死んでしまったりします。

非常にデリケートで、本来は飼育に向かない生き物なんです。

ただ、天蚕の黄緑の繭から採れる糸は萌黄色の独特の光沢を持ち、家蚕の絹に比べて一段と軽くしなやです。また織物にしたときに皺になりにくいなど、その美点についてははやくから知られていました。

極細の糸は内部に空気をたっぷり蓄え、保温性も群を抜いています。

さらに家蚕糸に比べて染料を吸着しにくい性質があり、家蚕糸と混織し後染めすると微妙な濃淡が生まれる点も珍重されてきました。

天蚕には、育てにくさを補って余りある独自の魅力が詰まっていたのです。


天蚕のふるさと安曇野

そんな天蚕の人工飼育を全国に先駆けて始めたのが、ここ安曇野の穂高有明地区でした。

天明年間(1781~1789年)には、周辺に群生するクヌギの枝に自生している天蚕を集めて飼養がスタート。独自の養蚕方法を編み出して、江戸時代末期になると150万粒の繭を主に近畿地方に出荷するほどの一大産地となりました。最盛期の明治20~30年代には、年間800万粒の繭が生産されていたと言います。

しかし輸入絹糸などに押されて徐々に出荷量が減り、第二次世界大戦によって養蚕が停止すると天蚕は“幻の糸”になってしまいました。

1973年に地元で復活の機運が高まり、養蚕が再開されました。現在、安曇野市を中心に長野県下の13市町村で約100戸の農家が天蚕を飼育しています。

天蚕は飼養の難しさもさることながら、糸を採取するまでに膨大な手間暇がかかるため、年間の生産量がごく限られます。このため市場では、天蚕糸は最高級品として高値で取引されています。

現在、安曇野市天産振興会では天蚕糸を1,000円/gで販売していますが、農水省の統計によれば令和2年(2020年)の一般的な国内産生糸価格は9円/g、輸入生糸価格は6.395円/gでした(農林水産省「蚕糸業をめぐる事情」令和3年6月)。
単純計算すると、天蚕糸は国産生糸の111倍、輸入生糸のじつに156倍のお値段ということになります。

天蚕が「繊維のダイヤモンド」と言われる理由がおわかりいただけたでしょうか。


当工房と天蚕

あづみの織り工房MAKIは、ご縁があって天蚕のふるさと安曇野穂高にオープンしました。

安曇野市天蚕振興会の会員として機織部に所属し、天蚕糸を使った織物の製作に携わっています。
従来、天蚕は和服の素材に使われることがほとんどでしたが、当工房では天蚕糸を現代に生きる人たちのための魅力的なプロダクト(ショール、テーブルセンター等)に活かすため、さまざまな研究と創作に取り組んでいます。

織物作家として、この、世界に類を見ない希少な天蚕糸の魅力を手織り物を愛する多くの方々にお伝えできたらと考えています。